女性の魅力を引き出すことが、私が私らしく生きる道。
私、“パリピ”と“真面目”の狭間にいるんですよね。
まずは楽しそうな方向に進もうとするし、やりたいことはやる。けれど、結局レールは踏み外さないんです。その生真面目さで、自分を制限していたこともありました。
自分の根っこがそうだから、大人の女性たちが、いろんな制限を外して自分の魅力に気づくお手伝いをしたいんだと思います。
思えば、ずっとエンタメがそばにあった
小さい頃は極度の恥ずかしがりやで、人前に出るなんて絶対にイヤ。でも、小室ファミリーやSPEEDに憧れて、家ではこっそり歌ったり踊ったりしていました。
思い返せば、父が洋楽好きで、常に音楽のある生活環境だったんです。3歳から観ていたお気に入りの映画は、チャップリンの作品や『サウンド・オブ・ミュージック』。そしていちばん好きなのは『天使にラブソングを2』でした。昔から“歌って踊る喜劇”が大好きだったんです。
中3で部活を引退したタイミングで、ずっと憧れていたダンスを習いはじめました。
そこから少しずつ性格が変わっていった気がします。高校1年生のときに京都にアクターズスクールが開校したので、「歌もダンスもやりたい!」って通いはじめました。定期公演もあったので、学業との両立で忙しい毎日でしたね。
高3になる頃、大学に進学するか、事務所に所属するかを決めなければならないタイミングがきました。業界の裏側が垣間見えていたのもあって、私の真面目思考が発動、アクターズスクールを辞めて、進学の道を選びました。
本当はファッションの専門学校に行きたかったけれど、「親は大学に行ってほしいやろな……」と、言われたわけでもないのに意向を汲んで、4年制の大学へ。それでも諦めきれず、バイトでお金を貯めて1年間ファッションのホリデースクールに通いました。
大学時代はダンスを趣味と割り切って、いろいろな場所で踊っていました。60人ほどの大学のサークルでは副部長に。気がつけば、楽しいことの真ん中にいました。

自分の中の「ねばならない」に縛られて
就職は、地元京都の安定した企業を選びました。ここでもやっぱりファッション業界に惹かれつつ、レールから外れることはしなかったんです。
OLらしくアフター5を満喫する毎日。ダンスはチームメンバーとの時間が合わず、目標をなくして、社会人1年目で辞めてしまいました。
3年目になると、周りが次々と寿退社。「私も早く結婚しなきゃ」と焦っていました。今思えば25歳で結婚なんて早いけれど、私が身を置いていたのは、そういう環境でした。
26歳で結婚・出産。ママになってみると自分は若いほうで、ロールモデルが近くにいないことに気づきます。そうなると、自分の母をお手本にするしかありませんでした。
昭和のお母さんって、仕事も家事も完璧。子どもが小さいうちは飲みにも行かない。そんな姿が“理想像”として心にあり、「自分もそうしないと」って思い込んでいました。そして自由奔放にしていた独身時代とのギャップに、息苦しさを感じていました。
でもあのときのしんどかった経験が、今の私の活動につながっているんですよね。
子どもがいても働ける道を探して
当時は、子育てしながら“ちょうどよく働く”のが難しい時代でした。
保育園に預けようとすると「仕事は決まっていますか?」
就職先を探そうとすると「預け先は決まっていますか?」
時短勤務は取りにくいし、土日は出られますか?と聞かれました。
そんなとき、児童館でできたママ友が、地域コミュニティで英語を教えている姿を見て、「自分の“好き”を活かす働き方があるんだ」と知ったんです。そして、私も個人事業主として何かを始められたらいいな、と漠然と考えるようになりました。
自分にできること言えば、ダンスしかありませんでした。そんなときに、アクターズスクール時代の仲間がベビーダンスを開発したと聞き、そのインストラクター資格を取得。参加費800円や1000円から教室をはじめました。
資格だけでは教室は続かないと痛感し、ビジネスを学びながら4教室6クラスまで拡大。大切にしたのは、“お母さん自身が楽しめる居場所”をつくることでした。
私自身、子どもを通じて友だちができて、どこか満たされなかった毎日が一気に楽しくなりました。だから、同じように感じている人たちに「お母さんも楽しんでいいんやで!!」と伝えたかったんです。
ベビーダンスはひとつのツール。大人の運動会(笑)など、お母さんたちが思い切り笑えるイベントを企画していました。

カメラとの出会いが、私を変えた
フォトグラファーとしての活動を始めたのは、自分自身が撮影してもらうことで救われたから。
二人目の妊娠中、長引くつわりと長男のイヤイヤ期で心が折れそうだったときに、マタニティフォトを撮ってもらったんです。そこに写っていたのは、長男にちゃんと笑いかけている私。「私、怒ってばかりじゃなかったんだ」って救われたんです。
それに、自分だけにスポットライトが当る時間なんて久しぶりすぎて。自分だけのために時間をもらっていることに、涙が出るほど感動しました。
そのカメラマンさんから写真を習い、教室の子どもたちを撮るようになりました。
仕事として撮っていたわけではないのですが、いつの間にか「先生、七五三撮れますか?」「マタニティフォトお願いできますか?」と声がかかるようになり、次第に仕事になっていきました。
ちょうどSNSを活用して起業する女性が増えはじめた頃で、撮影の依頼もどんどん増えていきました。私が本来寄り添いたいのは、お母さんである女性たち。この仕事なら、女性が楽しく生きていくのを思いっきりサポートしていけると感じ、フォトグラファーに専念することにしました。

女性の魅力を引き出す仕事へ
私がフォトグラファーに専念した2017年頃は、「自分のために写真を撮ってもらう」ことに抵抗を感じる人が、まだまだ多い時代でした。
「もうお母さんやし」「もういい年やし」――そんなブロックを感じていた女性が、出来上がってきた写真を見て思うんですよ。「なんや、私、まだきれいやん」って。
そうやって自信がつくと、見た目も行動も変わっていくんです。写真1枚でマインドチェンジして羽ばたいていく女性を、私は何人も見てきました。
そのうち、人から言われて気づいたんです。私がやっているのはコーチングだって。セルフイメージが上がれば、人は自然と動き出すんです。
カメラはツールに過ぎず、私の仕事は“女性の魅力を引き出すこと”なんだと確信しました。
どきどきしながら、撮影してもらった写真をSNSにアップすると、コメント欄に「すごい素敵!」「かわいい!!」「キレイ!!」の声があふれるんです。そしたらそれが自信になって、みんなどんどん変わっていくんです。
そんな様子を見ていたら、「二次元で舞台に立ってるみたいやな、SNSだけにしておくのもったいないな」って思ったんです。
そして、変わっていくプロセスも含めて、リアルに三次元の世界でスポットライトがあたる世界があったらいいな、という考えが浮かびました。
そこで企画したのが、一般女性がドレスでランウェイを歩くショー『DRESSCHANGE』、通称ドレチェンです。
隣にいる友だちが、「なんでこんなに素敵に変わっちゃったの?」と驚く。そうしたらその驚いた人が、次は変わりたくなるんです。
私自身、英会話を教えていたママ友や、ママカメラマンに影響されて起業してみようと動き出しました。人は“身近な誰か”に背中を押されて動きはじめるんですよね。ドレチェンを通じて、そんな循環を広げたいと思いました。

毎回、自分たちの課題が降ってくる
ドレチェンは、出産に似ています。準備はめちゃくちゃ大変で、毎回身も心もボロボロ。でも当日を迎えたら、痛みを忘れて「楽しかった!またやりたい!」ってなる(笑)。
毎回毎回課題が出てきて、一つずつ乗り越えていたら、もう5周年になりました(2025年現在)。
2020年の初回は、メンバーさんも決まったところでコロナが直撃。
「やる……?」「やるでしょ!!」「じゃあどうする?」そんな勢いで生配信の体制を整え、見よう見まねのクラファンで足りない資金を集めました。
「なんでカメラマンがイベントプロデュース?」「支援集めてまで?」そんな辛辣な声もあったけど、結果的に成功し、次に繋がりました。
最初は裏方に徹していましたが、「美沙紀ちゃんも出たら?」と言われて、ちょっと踊ってみたら大反響。じゃあダンスの仲間増やすか……ってやっていったら、気がついたら300人を動員するイベントになっていました。

過去の伏線を回収するように
2024年からは、アパレルブランドSTELLAvenusをプロデュース。これはドレチェンに共感してくれても、みんなが舞台に出たいわけじゃない、と気づいたことがきっかけです。でも、自分が人生の主役になりたい、大人になってもやりたいことをやりたい、という気持ちはみんなの中にある。その表現のツールのひとつとして、お洋服を手渡せたら、と思ったんです。
日本の女性って、年齢を理由にファッションに対しても制限しますよね。「短いスカートなんてもう履けない」「こんな派手な色着たらどう思われるかな」って。
でもそうやってどんどん制限して楽しめなくなっていったら、自分の人生、一体いつ楽しむの?って思うんです。大人の女性に、自分ではめた枠を外して「めっちゃかわいいやん!」って思ってほしくて、デザインを考えています。
学生時代にファッションスクールに通っていたという伏線を、今回収している感じですね。

次の夢へ
今の野望は、いつか大阪城ホールでイベントを開催すること。
「一般女性がランウェイ歩くなんて」という時代にドレチェンを始めたけれど、この一般ピーポーにできたんだから、次もきっとできる。
「アパレルブランドなんてどうやったら持てるんですか?」って聞かれたら、「作りたいと思ったらできるよ!」って答えてます。
私は楽しいことが大好き。でも昔は「こう生きなきゃ」って、自分から鳥かごに入っていたんだな、と思います。
この10年で、うんと自分らしく生きやすい時代になりました。
だからこそ、言いたい。
「私なんて……」って言ってないで、自分の人生、楽しもう!
そうやって一人ひとりが輝いたら、きっと世の中はもっとハッピーになる!って。
